UCさんの旅行記
テーマ:出張
旅行記タイトル:はじめての香港で
旅行期間:1989/10/〜1989/10/

旅行記の内容:表紙等に利用している写真は当時のものではなく、その後返還前に訪問した時の写真です。
それは当時付き合っていた彼女が持ってきた話だった。
彼女は土木建築系人材派遣会社の営業事務をやっていたのだが、私がその頃の仕事に転職したのはその彼女の上司の紹介によるものだった。
「ねぇ、香港に行かない?」と彼女が言った。
その頃の私にとって香港は「イギリス、中国、ブレードランナー、慕情、ジャッキーチェン」のイメージしかなかった。
「仕事の関係で、ちょっと調整をするのと、イギリス人の監督者と日本人の技術者の間の通訳のお手伝いをしてくれたら、飛行機代出してくれるんで、あとはホテル代だけでいいってさ。
」
二つ返事だった。
時は1990年11月だった。
カイタック空港はなるほど話に聞いていた通り、町の中を飛行機が降りてくる空港で、迫ってくる夜景が突然、小汚いビル群に変わり海に突っ込むようにして着陸する。
到着とともにアジア独特のにおいが鼻腔をくすぐる。
この頃すでにアジア出張を経験していた私にとってはなんとも言えず辛いものがある。
そう、「また腹を下すのかなぁ」という不安感だ。
イギリス領だから当然英語が通じると思ったのが間違えで、「新しく出来たばかりだ」というそのホテルを説明するので大分苦労した。
今はもう存在していないのだが、台湾のEvergreenが作ったホテルで、ワンチャイとセントラルの間、クイーンズロード沿いにあった。
いま思うと素晴らしく香港を楽しむためのロケーションだと考えられる。
ホテルに到着するとメッセージが入っている。
現地で落ち合う予定の日本人技術者の人が二人、到着したら電話をかけてくれというので、すぐに電話をかけ、翌朝迎えに来てくれることになった。
翌朝迎えに来てくれた男性二人はにこやかに、「今日のお昼までで仕事終わらせてしまいましょう」と言う。
「私はなんの通訳をすればいいんでしょうか?」とたずねたのだが、あるイギリス人に進捗状況の報告をするのでそれを逐次通訳してくれればいいということになった。
おいおい、それで本当に終わりかよ、、、、終わりだった。
すぐさま観光に連れ出されることになる。
香港滞在が長いせいもあって、彼らは生活に必要最低限な広東語ならば不足なく話す。
私たちは完全に観光客だった。
レパルスベイでシーフードレストランで食事をする。
なんでも映画のシーンでも使われたレストランで、海老がおいしいそうだ。
11月だというのに暑いのでビールがまた美味い。
タクシーに乗って、ホンコンチャイというところに連れて行かれ、その後また、「ここは見るだけでいいんだ」と説明がついた上で、水上レストランJUMBOへの渡し舟に乗り、レストランへ入る、、のかなと思ったらなんと1階の客席じゃなく、料理の食材としての鮮魚が、泳がされている水槽だらけの部屋を通り抜ける。
(フリスクの宣伝を思い出してください。
)そしてレストランの外周を歩いてさっきの渡し舟にのって戻る。
またタクシーに乗って今度はコーズウェイベイで降りて、日本のデパートが立ち並ぶ繁華街で降りる。
そして二階建て路面電車に乗り、宿泊しているホテルを通り過ぎ、左に大きな建物があるところで下車して、それに続く幾何学的なビル(中国銀行)を見ながら坂を登ったところにピークトラムの乗り場があった。
急勾配の電車で上りきったところには、小さな展望台があった。
現在は工事が終わっており、このとき降り立った展望台は残っていない。
ここから見る香港の夜景に圧倒される。
夜景といえば、留学している最中によく見た、サンフランシスコの夜景を上回るものは私には無かったのだが、なるほどこの奇妙なエネルギーに突き動かされて「眠らない街」になっている夜警というものもいいもんだなと感じた。
またタクシーに乗り、裏道を走り、海底トンネルを抜け、九龍側で、重厚で伝統を持つ雰囲気のあるホテル、ペニンシュラホテルで降りた。
ホテルの地下街は二層になっていて、上の階はきっと私には無関係なブランドショップの数々がひしめき、下の階にはちょっと怪しめなお店が半分くらいあった。
ここから歩いて数分で、こちら側のメインストリートにあたるネイザンロードを歩く。
「ニセモノヤスイネ」の声にこの日は惑わされずにフェリー乗り場でフェリーに乗る。
このフェリーの話は本で読んだことがあった。
日本円にして数十円でわずか10分ちょっとの気分のいい船旅。
まさにその通りだった。
迫ってくる光の洪水は、この後私の香港旅行の「何度も乗るもの」のTOPになって未だに変わっていない。
地下鉄を利用するほうが早いけど、極力スターフェリーを使うようになっている。
その後21:00に予約だというのでレストランに入り、生演奏のカラオケクラブに連れて行かれ、「昴」と「オブラディオブラダ」、調子にのって「プサン港に帰れ」を歌った。
特に昴が大うけだった。
画面に出される中国語の歌詞は読めるわけ無いので、記憶している日本語の歌詞で歌ったのだ。
翌日は一人だけがお昼の飲茶を付き合ってくれただけであとは自由な時間となり、スターフェリーに乗り「ニセモノ」を購入しに行って、フェリーで戻ってきて繁華街で買い物と食事をして、翌日の早朝に帰国した。
聞いた話だと、付き合ってくれた人の一人は、その後食中毒になったそうだ。
なんでも一緒に食べた海老のレモン蒸しにあたったそうだ。
そのわりに何故他の人が平気なのだろうと考えたのだが、思い当たるふしは、彼以外は全員ビールを飲みまくっていたということだけなのだ。
アルコール消毒ってこれか、、、と変な納得をしてしまった。
その1年後、食中毒になった彼とは日本で再会を果たし、海老のレモン蒸しを食べに行って、一緒に今度は老酒をたくさん飲んだのは言うまでもないことだった。
写真:表紙等に利用している写真は当時のものではなく、その後返還前に訪問した時の写真です。
それは当時付き合っていた彼女が持ってきた話だった。
彼女は土木建築系人材派遣会社の営業事務をやっていたのだが、私がその頃の仕事に転職したのはその彼女の上司の紹介によるものだった。
「ねぇ、香港に行かない?」と彼女が言った。
その頃の私にとって香港は「イギリス、中国、ブレードランナー、慕情、ジャッキーチェン」のイメージしかなかった。
「仕事の関係で、ちょっと調整をするのと、イギリス人の監督者と日本人の技術者の間の通訳のお手伝いをしてくれたら、飛行機代出してくれるんで、あとはホテル代だけでいいってさ。
」
二つ返事だった。
時は1990年11月だった。
カイタック空港はなるほど話に聞いていた通り、町の中を飛行機が降りてくる空港で、迫ってくる夜景が突然、小汚いビル群に変わり海に突っ込むようにして着陸する。
到着とともにアジア独特のにおいが鼻腔をくすぐる。
この頃すでにアジア出張を経験していた私にとってはなんとも言えず辛いものがある。
そう、「また腹を下すのかなぁ」という不安感だ。
イギリス領だから当然英語が通じると思ったのが間違えで、「新しく出来たばかりだ」というそのホテルを説明するので大分苦労した。
今はもう存在していないのだが、台湾のEvergreenが作ったホテルで、ワンチャイとセントラルの間、クイーンズロード沿いにあった。
いま思うと素晴らしく香港を楽しむためのロケーションだと考えられる。
ホテルに到着するとメッセージが入っている。
現地で落ち合う予定の日本人技術者の人が二人、到着したら電話をかけてくれというので、すぐに電話をかけ、翌朝迎えに来てくれることになった。
翌朝迎えに来てくれた男性二人はにこやかに、「今日のお昼までで仕事終わらせてしまいましょう」と言う。
「私はなんの通訳をすればいいんでしょうか?」とたずねたのだが、あるイギリス人に進捗状況の報告をするのでそれを逐次通訳してくれればいいということになった。
おいおい、それで本当に終わりかよ、、、、終わりだった。
すぐさま観光に連れ出されることになる。
香港滞在が長いせいもあって、彼らは生活に必要最低限な広東語ならば不足なく話す。
私たちは完全に観光客だった。
レパルスベイでシーフードレストランで食事をする。
なんでも映画のシーンでも使われたレストランで、海老がおいしいそうだ。
11月だというのに暑いのでビールがまた美味い。
タクシーに乗って、ホンコンチャイというところに連れて行かれ、その後また、「ここは見るだけでいいんだ」と説明がついた上で、水上レストランJUMBOへの渡し舟に乗り、レストランへ入る、、のかなと思ったらなんと1階の客席じゃなく、料理の食材としての鮮魚が、泳がされている水槽だらけの部屋を通り抜ける。
(フリスクの宣伝を思い出してください。
)そしてレストランの外周を歩いてさっきの渡し舟にのって戻る。
またタクシーに乗って今度はコーズウェイベイで降りて、日本のデパートが立ち並ぶ繁華街で降りる。
そして二階建て路面電車に乗り、宿泊しているホテルを通り過ぎ、左に大きな建物があるところで下車して、それに続く幾何学的なビル(中国銀行)を見ながら坂を登ったところにピークトラムの乗り場があった。
急勾配の電車で上りきったところには、小さな展望台があった。
現在は工事が終わっており、このとき降り立った展望台は残っていない。
ここから見る香港の夜景に圧倒される。
夜景といえば、留学している最中によく見た、サンフランシスコの夜景を上回るものは私には無かったのだが、なるほどこの奇妙なエネルギーに突き動かされて「眠らない街」になっている夜警というものもいいもんだなと感じた。
またタクシーに乗り、裏道を走り、海底トンネルを抜け、九龍側で、重厚で伝統を持つ雰囲気のあるホテル、ペニンシュラホテルで降りた。
ホテルの地下街は二層になっていて、上の階はきっと私には無関係なブランドショップの数々がひしめき、下の階にはちょっと怪しめなお店が半分くらいあった。
ここから歩いて数分で、こちら側のメインストリートにあたるネイザンロードを歩く。
「ニセモノヤスイネ」の声にこの日は惑わされずにフェリー乗り場でフェリーに乗る。
このフェリーの話は本で読んだことがあった。
日本円にして数十円でわずか10分ちょっとの気分のいい船旅。
まさにその通りだった。
迫ってくる光の洪水は、この後私の香港旅行の「何度も乗るもの」のTOPになって未だに変わっていない。
地下鉄を利用するほうが早いけど、極力スターフェリーを使うようになっている。
その後21:00に予約だというのでレストランに入り、生演奏のカラオケクラブに連れて行かれ、「昴」と「オブラディオブラダ」、調子にのって「プサン港に帰れ」を歌った。
特に昴が大うけだった。
画面に出される中国語の歌詞は読めるわけ無いので、記憶している日本語の歌詞で歌ったのだ。
翌日は一人だけがお昼の飲茶を付き合ってくれただけであとは自由な時間となり、スターフェリーに乗り「ニセモノ」を購入しに行って、フェリーで戻ってきて繁華街で買い物と食事をして、翌日の早朝に帰国した。
聞いた話だと、付き合ってくれた人の一人は、その後食中毒になったそうだ。
なんでも一緒に食べた海老のレモン蒸しにあたったそうだ。
そのわりに何故他の人が平気なのだろうと考えたのだが、思い当たるふしは、彼以外は全員ビールを飲みまくっていたということだけなのだ。
アルコール消毒ってこれか、、、と変な納得をしてしまった。
その1年後、食中毒になった彼とは日本で再会を果たし、海老のレモン蒸しを食べに行って、一緒に今度は老酒をたくさん飲んだのは言うまでもないことだった。
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